島旅にっき 

一人旅(主に国内・離島多め)やその他諸々について発信します~。アイランダー女子が増えることを期待してせっせと更新中。

二見浦寄り道さんぽ 二見興玉神社と伊勢地域の蘇民将来信仰について

こんばんは!

 

三重県の離島旅レポートを続けています。

 

<バックナンバー>

三重県の離島について情報収集してみた。鳥羽とか志摩とか。 - しまたび日記

三重県の離島旅 レポートの前に…… - しまたび日記

三重県の離島旅 答志島に行ってきました(和具港周辺) - しまたび日記

三重県の離島旅 答志島に行ってきましたその2(答志港周辺) - しまたび日記

三重県の離島旅 菅島に行ってきました - 島旅にっき

 

今回訪れた最後の島である神島に行く前に、寄り道した二見浦についても紹介します。
タイトルが硬くなってしまった(笑)

内容はかたくないですよ~

 

その1 アクセスについて


伊勢→鳥羽ルートには、近鉄とJRの2種類がありますが、
そのうちJRに乗っていくと、二見浦駅という駅に着きます。

 

f:id:sugaryocean:20170903231158j:plain


きっぷ。
たった10分程度なのに、新幹線のような大きい切符。
なぜなら、JRの鳥羽駅には自動券売機がないから。

 

f:id:sugaryocean:20170903231254j:plain


近鉄の伊勢~鳥羽ルートは内陸を通りますが、
JRルートは海の近くを通ります!
日も傾き始めた伊勢湾を眺めながら進みます。

 

その2 駅~二見興玉神社

 

f:id:sugaryocean:20170903231342j:plain


二見浦駅到着。
駅から鳥居。

駅名にもなっている二見浦は、伊勢神宮参詣者が、参拝する前に身を清める場所となっていました。

そんな場所がら、参拝者のための宿も多かったようで、
今でも古い町並みが残っています。

 

二見興玉神社までは、駅からまっすぐ行って、

突き当たりを右折してまたまっすぐ進む、
という超簡単ルートです。

 

徒歩15分くらい。

 

f:id:sugaryocean:20170903231608j:plain

突き当たりは、旅館。

天気が良いせいで、写真がきらきらする~

 

f:id:sugaryocean:20170903231649j:plain


江戸時代から続いているのかな~とわくわくするような
町並みが続きます。

 

f:id:sugaryocean:20170903231815j:plain


この通りに、賓日館(ひんじつかん)という立派な建物が建っています。


明治20年(1887年)に建てられたもので、
皇室の方が伊勢神宮に参拝する際に使われていたようです。
国指定重要文化財にもなっています。

 

300円で中を見学することができるようですが、
すでに時間を過ぎていたのであきらめることに。
(最終入館は16時30分まで。)

 

f:id:sugaryocean:20170903231906j:plain


町並みを抜けると、海辺に神社への参道が続きます。

 

 

 

f:id:sugaryocean:20170903232025j:plain


寺社参詣・観光案内人を装った悪い人って、
実は江戸時代からいたんですよ~

 

200年前も今も全然変わってないんだな、って思います。

 

ちなみに、伊勢神宮参拝の案内役は、
御師(おし)という専門の神職さんがいて、
道案内から宿・食事・参詣・御祈祷の手配まですべてやってくれていたんです。

 

この看板みたいなちょっと怪しい(?)案内人は、
京都・奈良・江戸あたりで確認できるようで。

お土産屋さんと結託して、かならずそのお土産を買わせようとしたり。

 

ほんとに現代と変わらないなぁ(笑)

 

江戸時代の旅の様子は、

道中記なんかを読むと詳しく書かれていて楽しいですよ~^^
国立国会図書館なんかで、現代語訳になったものが読めます。

 

 

f:id:sugaryocean:20170903232136j:plain


話がそれてしまいましたが、
二見興玉神社に到着です~

祭神は猿田彦大神

 

夫婦岩が有名ですね。

 

f:id:sugaryocean:20170903232236j:plain


こちら。

 

厳島神社の鳥居のように、二見興玉神社の海上の鳥居なのかと思いきや、
太陽を遥拝するための鳥居なんです。

 

夏の間(5月~7月ごろ)は、ちょうどこの鳥居の間から太陽が昇ってくるようで、
さらにタイミングによっては、鳥居の間に富士山が見えて、その上から太陽が昇る様子を拝むこともできるようです。

 

太陽ともう一つ、この鳥居から沖合700メートルほどに鎮座する、
興玉神石を拝むためでもあるようです。

この石、かつては見えていたようですが、
江戸時代の地震によって沈んでしまいました。

 

その3 蘇民将来のお札について


帰り道、再び町並みを通って帰ります。

 

f:id:sugaryocean:20170903232445j:plain


この辺りにも、答志島・菅島の家の玄関に飾られていたお札がかけられています。

……なんて眺めながら歩いていたら、
お札の由来の説明が書いてあり、ようやくその由来が分かりました。

 

 

以下、概略。

 

むかーしむかし、天照大神の弟素戔嗚尊(すさのおのみこと)が旅に出ており、
伊勢の地にて宿を頼めるところを探しました。

 

村一番の長者、巨旦(こたん)の立派なお屋敷を見つけ、
一夜の宿を頼んだものの、貧しそうな身なりを見て巨旦は断ってしまいます。

 

仕方なく次に向かったのは、貧しい蘇民(そみん)の住む、粗末な小屋でした。
尊(みこと)が訳を話すと、蘇民は快く宿を貸し、粟の粗飯でもてなしました。

 

ところがその夜、尊は“あはさ”の国から悪疫が襲ってくることを知り、
蘇民を起こして茅の輪を作って家に懸けさせます。

 

翌朝外に出てみると、なんと蘇民一家を除いた村人全員が疫病に倒れておりました。

 

尊は去り際に、今後も疫病が襲ってくる際は、「蘇民将来子孫」であることを門前に記せば、
疫病から免れると伝え去っていきました。

 

それからというものこの地域の家は、「蘇民将来子孫家門」と書いたしめ縄を掲げ、
疫病から身を守ったそうです。

 

おわり。

 

ノアの箱舟みたいね。

 

蘇民将来伝説はこの地域に限らず全国の色々な地域で残っているようです。
ただ、答志島・菅島・二見と、こんなにどこの玄関を見ても
今でもしめ縄がきちんと飾ってあるのは、珍しいのではないでしょうか。

 

色々調べていたら、このしめ縄amazonで売ってたww

 

その4 おわりに


二見から再びJRに乗り、伊勢に戻りました。
この区間は電車の本数がかなり少ないので、時刻表に合わせて行動することがおすすめです。

 

今夜は、伊勢のゲストハウス風見荘さんに泊まりました。

つかず離れずの距離感で、居心地よかったですよ~
土地柄、予想していたよりも日本人がたくさん泊っていました。

 

もうすぐ一時閉店して、解体・建て直しされるそうです。
建て替え後は12角形の建物になるそうなので、再オープンしたらまた行ってみたいな~と思います。

 

f:id:sugaryocean:20170903232732j:plain


今回全くお参りしなかった、伊勢神宮の前にて(笑)

ではでは!